住宅を作り出す、建築設計について

現在のアトリエ建築家とは

結局のところ

芸術的な感性で独自が創りだした世界観を彩る手段として建築に精を出しているアトリエ系建築家ですが、個性的すぎるのが難点といえる。人目ではおしゃれ・特徴的・独自性といった要素が見て取れる。それを良しと考える分には構わないが、それが時として個性的過ぎるゆえに景観を乱しているのではといった意見を耳にすることもあります。アトリエ系建築家といえど、恐らく個性的過ぎる建築物というのは、やり過ぎてはただの暴力に過ぎない場合がある。例として漫画家の楳図かずお先生の自宅が、一時期地域住民との間でトラブルを巻き起こした事件があった。この件は最終的に先生の自宅が必ずしも景観を乱しているとは言えないとして、勝訴したことで落着しています。

無論住んでいた場所にもよりますが、日本の高級住宅街の中には建築することすら許可が出にくいと言われるようなところもあるほど、景観という美徳を汚さないようにする方向性を保とうとします。するとまっさきにあげられるのは、そうしたを著しく乱しかねない象徴たる建物は止めておこうという結論に至るものだ。

画一化と言うべきか、日本人は他人と合わせて生活することを得意としている人種です、ですがその在り方はアトリエ系建築家にしたら受け入れがたい点でしょう。そうなると独自性を追求した建築物が増えたのも頷けますが、奇抜と言われてしまったら住宅の価値も様変わりだ。

そもそも現在でもアトリエ系建築家などと言われている人がいるのか、また今でもかつての先人たちと似たような建築物を建てるようにしているのか。その在り方について考えてみよう。

今時のアトリエ系建築家とは

ただ斬新な建築物を作れれば良い、というのは既に時代遅れだ。その結果、デザイナーズマンションでありがちなコンクリートの打ち付けに驚きを隠せない、むしろ住みにくさだけが顕著で何もいいことがなかったと、リアルにそんな声が沢山上がっていたほど。それでもいまだ人気が高いデザイナーズマンションですが、今でいうところとかつてのものとを比べると歴然とした違いが浮かんでくる。マンションだけではない、普通の個人が住むような住宅に関しても例外ではない。

建築家の個性と世界観を体現したものがアトリエ系建築物と呼ばれていたが、この作品で最も蔑ろにされていたのが『住む人が便利だと感じる住まい』だという点だ。コンクリートの打ち付けにしても、バスルームの全面鏡張りにしてもだ、自分一人で利用する分には支障をきたさないかもしれないが、友人などが来たら途端に恥ずかしくなってしまいがち。個性が時として暴力になってしまう瞬間といえるでしょう、だからこそか、現在ではアトリエ系建築家と呼ばれる人々はそこで暮らす人々が不自由をしない、『住まいを作り出すプロ』として変質していった。

変質、というよりは本質があるべき場所に戻ったといったほうが適切かもしれません。

今と昔の違い

もっと詳しくアトリエ系建築家の今と昔の差異を上げると、具体的にこんな部分が大きく違ってきます。

かつては個性的でなれば能力的な面はどうでもいいとさえされていた部分でしたが、それを良しとしていた人たちの気がしれません。時代だったと言われて納得する人もいたのかもしれませんが、憧れから実際に住んでみて理想と現実は違うと絶望した人もいるでしょう。それに比べれば、現在は住む人が快適に暮らせるよう、そこへ一工夫付け加えるように個性を演出することによって、日常を楽しく過ごせるものにすることへ軌道修正した。

芸術作品とすれば個性的と評価されるかもしれませんが、住宅などの建築物は利用してなんぼのものなので表面的なものばかりにとらわれないで、本質的な部分が機能していなければ元も子もないでしょう。

自慢が出来て、かつ快適な住まいを作り出せる

今時のアトリエ系建築家と呼ばれる人々はただ個性的ではない、生活に密着して顧客の理想とする家を創りだす手伝いを主軸に置いています。ただ忠実に再現するだけではない、建築家という側面から生じる芸術的な感性に則って、今まで見たこともない外装をしていて、一見すると住みにくそうに見えて自分のライフスタイルに合わせた生活ではどの物件よりも素晴らしいと評価されることこそ、現代におけるアトリエ系建築家の在り方となっています。

とはいえ、その全てを再現するためにはお金という問題も絡んできますので、予算と相談してどこまで再現できるかがポイントだ。個性的な作品を見かけることはあっても、そのせいで機能性が伴っていなければ売れないのが、今時の住宅事情といえる。

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